建築を旅してplus

道東 編 ①

正法寺 ─ 厚岸町

 この正法寺は、時の住職、朝日恵明が1879年(明治12年)に湾月町に説教所を開いたのが草創となります。 

 明治13年には、現在地に本堂36坪の庫裡を建てて移転し、明治15年に寺号を公称したとあります。

 新潟県西頸城郡西梅村大字平牛(現:新潟県糸魚川市)にあった浄土真宗満長寺(1799年-寛政11年建築)を購入し、1909年(明治42年)に解体、船で輸送した後、1910年(明治43年)に現地へ移築されました。

 移築の関係資料がよく残っており、北海道の開拓に伴う建築文化を知る上で、貴重な存在になっているといいます。

 厚岸町は人口1万人程度の小都市ですが、この梅香町や湾月町界隈には、数多くの社寺仏閣が郡を成しており、何やら不思議です。

 何故か、少し調べてみました。 ここには、自然の良港であることから、古代より人々が暮らしており、寛永年間には松前藩がアッケシ場所(現在の厚岸郡界隈)を開設したという道東文化の発祥地です。 

 さらに、キリスト教の浸透に伴うロシア人の南下対策、アイヌの国民化対策の必要性から、蝦夷三官寺の1つとして、1804年(文化元年)には国泰寺(臨済宗)が建立されるといった流れもあり、北海道開拓にあわせて、この正法寺(浄土真宗大谷派)や他の宗派も布教活動の拠点を造る必要から、また、地形的な制約もあり、結果的に、社寺仏閣が群を成す空間ができていったのです。 

 建築学には工学としては珍しい建築史(歴史)のカリキュラムがありますが、もっと勉強しておけば、さぞかし、建築観賞も奥深いものになったであろうと、後悔しきりです。

 建築観賞して、歴史を調べることは、ちょっとした文化観光(cultural tourism)ですね。

 

 さて、建築についてです。 平面は内陣、余間、外陣を有し、四面に庇部を巡らしています。 本堂の正面中央には向拝があり、組物や彫刻された虹梁斗栱が見て取れます。

 この建物の見所は、何と言っても内観、北海道の気候にあわせて、縁側を室内に取り組んで改造を加えたり、極彩色や彫刻がみごとだといわれますが、なにぶんの早朝調査でしたので、見ることができませんでした。残念です。 

 なお、厚岸の正法寺(鐘楼)は道東唯一の国指定重要文化財です。

 

竣工 - 1799年(寛政11年)、1919年(明治43年) 新潟県糸魚川市より移築

構造・規模 - 木造

所在地 - 厚岸郡厚岸町梅香町1丁目

施工 - 菅原忠太郎

受賞歴・指定等 - 国指定重要文化財

その他 - 地元の菅原忠太郎が請負、檀家の寄付や労力奉仕により、完成したとある。

道東 編 ②

旧浜野家住宅 ─ 中札内村

 浜野家は富山県から入植した開拓農家です。

 1919年(大正8年)にこの住宅を建てたものの、たびたびの洪水に見舞われ、昭和11年には高台に移築し、昭和63年まで使用されました。

 この建物は北陸を中心とした農家住宅によく見られる「ワクノウチ造り」という建築様式で、構造材料は近くの原始林からキハダ・カシワ・ナラ・タモ等を切り出したものです。

 かつての「広間」と「茶の間」は吹き抜けで、大きな虹梁の入った豪壮な造りを見ることができます。

 また、奥座敷には平書院が付されています。

 現在は開拓資料館兼蕎麦屋として多くの人が訪れています。

 

竣工:1919年(大正8年)

構造・規模:木造平屋

所在地:中札内村大通南7丁目14

道東 編 ③

弟子屈町屈斜路コタンアイヌ民族資料館

 この建物はアイヌ民族の歴史や文化を今に伝えることを目的に屈斜路湖南岸に建設された施設です。屈斜路湖畔という神秘的なロケーションが素晴らしいんです。

 設計は、釧路市出身の建築家:毛綱毅曠ですが、過去にもHPの中で彼の作品について紹介してきました。毛綱はポストモダンをリードした建築家ですから、メタファー(隠喩)や「見立て」、毛綱風に言うと風水術の手法が多用されています。

 

 毛綱はアイヌ民俗資料館を「地獄極楽形」、釧路市立博物館を「記憶展示形」、釧路市湿原展望資料館を「天地種子形」と名付け、建築の根源形を提示しようと考えました。

 また、このアイヌ民俗資料館─「地獄極楽形」のゾーニングについては、屈斜路湖と道路を挟んだ二河白道のようなところに位置しているとしています。

 さらに、形態と構造については「天円地方宇宙」と称していますが、天は丸く、地は方形であるという意味です。あらゆる民族の神話層の下意識に共通する建築宇宙構造であるとしています。・・とあまりにも冗舌すぎて難解ですが、実はかなり世俗的なメタファーも潜んでいると聞きます。具体的なことは割愛しますが・・。

 

竣工 : 1982年(昭和57年)

構造・規模 : RC造地下1階地上2階 394.1㎡

所在地 : 川上郡弟子屈町字屈斜路市街1条通14番地

設計者 : 毛綱毅曠建築設計事務所

道東 編 ④

太田屯田兵屋

 太田屯田兵村とは主要港湾・厚岸港警備のために、本州から入植した440戸分の住宅で、1890(明治23)年に標茶集治館の囚人達によって建築されたものです。

 間取りは幅2間の土間に炉を切った板の間、6畳と4畳半の2間に居間、台所、便所からなり、17.5(58㎡程度)の広さがあります。

 また、屋根には炉用の煙出し(排気口)が設けられています。

 

 1904(明治37)年の屯田兵屋制度終了後も住宅として使用されていましたが、昭和46年に解体復原され、同年所有者の松本英男氏により厚岸町に寄贈されました。

 

竣工:1890(明治23)

構造・規模:木造平屋建て

所在地:厚岸町太田2の通り6

旧名称:119番 松本家

受賞歴・指定等 :北海道有形文化財、北海道遺産