建築を旅してplus

富良野市 編 ①

旧河村合同酒造会社 ─ 炭焼倶楽部YAMADORI

 富良野市史によると、河村廉次郎という人物が1911年(明治44年)に酒造店を始めたとありますから、この重厚な建物は酒蔵がルーツということになります。

 その後、所有者が入れ替わり、現在は炭焼倶楽部YAMADORIという、お洒落なレストランとして活用されています。

 さて、建物を観察してみましょう。

 この石材は札幌軟石とされ、構造は木骨石造です。石の仕上げに着目しますと、つるはしで斜めに筋模様がつけられたツル目仕上げになっており、手彫りの痕跡が示されています。

 さらに、視線を正面、破風上部に、転じてみます。

 小叩き仕上げにより三ツ星の屋号が刻まれていることがわかります。当時は「三ツ星の酒屋」として、親しまれたそうです。 

 時を経て、屋根はカラー長尺鉄板へ、さらにドーマー(屋根窓)が設けられるなど、基本となる原形を保ちつつも、よりお洒落な空間へと進化しています。

 

建築:1911年(明治44年)

構造・規模 :木骨石造平屋建

所在地:富良野市朝日町4-22

富良野市 編 ②

渡部医院

 富良野市史によりますと、1908年(明治41年)に、初代院長・渡部俊雄が渡部医院を開業したとあります。 

 1922年(大正12年)には、ご覧のような洋風建築が現在地に建てられました。 

 TVドラマ「北の国から」の舞台にも使われましたので、その姿を記憶の縁にとどめられている方もおられるのではないでしょうか。

 さて、建物を観察します。 正面から見ると、左右非対称のファサードになっており、外壁はドイツ下見板張り、屋根は寄棟で屋根飾りが付いています。

 さらに詳細はというと、軒先にはブラケット、笠木の付いた上げ下げ窓、窓台の下にも小さなブラケットが付くなど、洋風建築の要素満載です。

 内部は改修されているのでしょうが、当時のイメージ保存に努められているように見受けられました。

 

建築:1923年(大正12年)

構造・規模 :木造2階建て

所在地:富良野市本町1番10号

富良野市 編 ③

小玉邸

 この建物は、1929年(昭和4年)小玉活版所を創業した小玉寛二氏が1951年(昭和26年)に建築した住宅で、現在も株式会社コダマの社屋に隣接して建っています。

 構造は煉瓦造と鉄筋コンクリート造の混構造2階建て、外壁は蔦の絡まる煉瓦(イギリス積)で、屋根は特徴的なアーチ形にドーマー(屋根窓)がのっています。

 デザインが斬新であり、手入れもされているのでしょう。90年以上経た現在も、景観価値の色あせない住宅です。

 工事請負は小玉寛二の弟、設計士の小玉正和氏であったことが、この思い切ったデザインにつながったのかもしれません。

 

建築:1951年(昭和26年)

構造・規模 :煉瓦造・鉄筋コンクリート造2階建て

所在地:富良野市朝日町4