建築を旅してplus

江差町 編 ①

旧中村家住宅

 中村家住宅は近江呉服商人の種島屋:大橋宇兵衛が、この場所に現在の建物を建てたことに始まります。 

 鰊漁が下火になった1915年(大正4年)には同郷の中村米吉に家屋敷が譲渡され、以降、中村家が商売を引き継いできました。 

 さらに1974年(昭和49年)には中村家から江差町に贈与、1982年(昭和57年)には保存修理工事を終えて一般公開されるようになりました。  

 いにしえ街道に面したファサードを見ますと、緩勾配の切妻・妻入形式、白い漆喰壁、土台は北前船で北陸から運んできた越前の笏谷石が積み上げられています。 

 内部に入ります。入口右側が通り庭になっており、左側を見ながら奥へと進みますと帳場などの店、座敷、居間が並び、さらに土蔵が2棟、文庫蔵、下の蔵を通ってハネダシへと繋がる、当時の典型的な回船問屋建築になっています。 

 通り庭側には高窓がありますが、このような採光方式は北陸の多雪地帯では一般的であったそうです。 

 内装や造作を観察します。全体的にはヒノキを主材料に漆塗りとなっています。

 天井を見上げますと吉野や秋田の杉材が使われ、床間や仏間にはケヤキ材、さらに紫檀・黒檀が組込まれるなど贅の限りが尽くされています。 

 また2階の窓ガラスの歪みやゆらぎは、とても味がありますよね。

 

建築:主屋=1889年(明治22年)頃

構造・規模 :木造(土蔵造)2階建、

所在地:江差町中歌町22番地

指定等 : 重要文化財

その他:旧大橋家住宅

江差町 編 ②

旧関川邸別荘

 関川家は初代・関川与左衛門が天和年間(1681年~1684年)に越後国(現在の新潟県)から松前に移り醸造業を営みますが、間もなく江差に定住します。 

 二代目になると醸造業のみならず回船業や米穀問屋、金融業などの多角経営から、松前藩随一の豪商の名をほしいままにしてきました。 

 明治30年代に九代目が江差を離れるまでの200年余り、江差の発展に代々尽くします。

 まずは弁天島の常燈設置を皮切りに、江差小学校や公立病院、市街地道路の建設などへの私財寄付、さらに道議会開設の提言者として奔走するなどの自治施行といった功績でした。

 この旧関川家別荘というのは八代目・関川平四郎が建てた別荘ですが、早速、建築を見てみましょう。  

 

 別荘の門をくぐりますと、1万1千㎡もの広大な庭園が開けてきます。

 「えぞたて公園」と呼ばれていますが、もともとはこの別荘の庭園でした。 

 別荘は木造平屋の主屋に土蔵造2階建ての土蔵、木造2階建の付属屋からなっています。 

 内部の特徴は柱や貫、梁などが細めの木割になっており、軽快さを演出していることです。 主屋の縁側の歪んだ窓ガラス越しに庭園を鑑賞することができました。

 1985年(昭和60年)から建物の修復工事が始まり、1987年からは、保存されていた貴重な調度品も含めて、一般公開されており、丁寧な説明を頂きました。

 

建築:主屋=明治初期、蔵=江戸後期 

構造・規模 :主屋=木造平家、蔵=土蔵2階建、付属家=木造2階建

所在地:江差町豊川町55

指定等 :江差町指定有形文化財

江差町 編 ③

横山家住宅

 横山家は能登藩(石川)出身の初代:宗右衛門が、天明6年(1786年)に江差へと渡り、以降、漁業・商業・回船問屋を営んだとありますから、初代から230年以上が経過したことになります。 

 現在の建物は、1892年(明治25年)頃に建てられた典型的な回船問屋の遺構で、昭和38年には北海道の文化財指定を受けています。

 私が訪れた時には、八代目の元気なお姿をお見受けできたのですが・・。  

 主屋は総ヒノキづくりで緩勾配の切妻・妻入形式で、1階左側は格子窓、右側は当時、蔀戸を入れていました。※蔀戸(しとみど)とは町屋で柱の間に板戸を落し込む形式の建具のこと 

 2階には横長の出窓が設けられ、その両側を白壁仕上げに、下部を簓子下見板張の戸袋にしています。 

 横山家の家紋と屋号が入った大きな暖簾を潜りながら内部に入ります。 

 内部はウナギの寝床のように長く、入口から続く通り庭の左側に帳場、居間、横座などの室があります。さらに蔵が連なっています。 

 蔵は一番蔵から四番蔵まであり、蔵に雪や風から守るための「ノザヤ」という屋根をかけたニワでつながっています。 

 居間は天井が高く張られ、高窓からの間接採光を考慮したデザインが素晴らしいです。母屋と四番倉にはニシン漁全盛期のころの生活用具などが陳列されていました。

 一番奥は海岸に面して1段上がる「ハネダシ」になっており、その下の船着場へは斜路を通って降りることができます。

 

建築:主屋=1882年(明治16年)以降、1892年(明治25年)ともある、三番蔵=1822年(文政5年)以前

構造・規模 :主屋=木造2階建、蔵=土蔵造2階建、ハネダシ=木造2階建、離れ=木造平屋所在地:江差町字姥神町45番地

指定等 : 北海道指定有形民俗文化財

江差町 編 ④

旧檜山爾志郡役所(江差郷土資料館)

 旧檜山爾志郡役所は、北海道庁の出先機関である郡役所(2階部分)と警察署(1階部分)の業務を行なう建物として、1887年(明治20年)に建てられました。 

 その後、各種官庁施設として再利用され、1992年(平成4年)には、道内で唯一現存する郡役所の遺構として北海道指定有形文化財の指定を受けています。  

 北海道では明治12年に、2区(札幌と函館)、89郡を制定しましたが、翌年には2区、19郡役所が開庁し、その後、再編成を繰返し、明治30年には檜山支庁(現:檜山総合振興局)へと受け継がれました。 

 江差町では、1996年(平成8年)から1997年(平成9年)にかけて、創建当時の姿に復すべく保存修理を行い、現在は江差町郷土資料館として活用されています。  

 外観も見ますと、正面中央玄関にはベランダ付きポーチを有し、軒には厚い水平繰形を重ねたコーニス(蛇腹)が廻るといった洋館意匠です。 

 内部を見ますと、中央部には豪華な廻り階段があり、壁や天井に目を遣りますと、地方の公共建築では珍しいペイズリー柄や花柄、桃太郎柄と言ったオリジナルの高価な布クロスを見ることができます。

 これは一見の価値がありますね。

 

建築:1887年(明治20年) 

構造・規模 :木造寄棟、桟瓦葺 主屋2階建1棟、附属平屋1棟

所在地:江差町中歌町112

指定等 : 北海道指定有形文化財

江差町 編 ⑤

姥神大神宮

 創立年代は1216年とも1477年とも言われていますが、根拠は定かではありません。

 姥神という名の由来ですが、江差の浜に住んでいた老婆が起こした数々の奇跡(鰊が群来るお告げにより、人々を飢えから救った等)にまつわるものとされます。  

 1817年(文化14年) には正一位姥神大神社宮号を勅許(ちよっきよ)された北海道最古の神社で、漁業の神様として祀られています。

 また、毎年8月9日、10日、11日には姥神大神宮渡御祭が行なわれていますが、山車や御神輿が町を練り歩く様を見ようと多くの見物客が訪れ、町は熱気を帯びていますので、この時期に建築を旅することがお勧めです。  

 

 拝殿の桁行は3間、梁行3間の入母屋造、桟瓦葺の建物です。 

 空間的には、近くの乙部八幡宮拝殿や上ノ国八幡宮拝殿との共通項があり、建築形式や彫刻装飾が継承されています。

 

建築:1846年(弘化3年)

構造・規模 :木造平家建

所在地:江差町姥神町99−1

江差町 編 ⑥

江差町会所会館─旧江差町役場本庁舎

 この建物は、歴まち事業(いにしえ街道)における拠点施設の一つであり、平成5年11月まで江差町役場本庁舎として使用されてましたが、平成13年4月には「江差町会所会館」として建て替えられたものです。 

 建て替えの原則は、江戸末期に建設された当時の外観に戻すことと、使用できる部材を再利用することでした。 

 曳屋による保存ではありませんが、外観や小屋組み構成するみごとな梁材を見ますと、歴史性を感じます。

 復元でもイメージ保存でも、やり方によっては記憶の建築が成り立つんですね。

 

建築:旧役場本庁舎建物1845(弘化2)年に町会所(町役所)として創始したとされる。平成13 年に江戸末期に建設された当時の外観に復元して建て直した。

構造・規模 : 木造平屋

所在地:江差町字中歌町76番地の1

江差町 編 ⑦

斉藤籠店

 竹籠という道具はとても魅力的です。

 できれば、自分で編んでみたいものだと常日頃、思ってはいますが、たぶん、うまくはいかないんでしょうね。

 

 この建物は、いにしえ街道の街区整備で曳家により後ろに下げて保存したといいます。

 江差町で3代続く製籠店を引き継いできました。

 3代目の齋藤弘文さんは林野庁の外郭団体、国土緑化推進機構の「森の名手・名人100選」にも選ばれた籠職人でしたが、お亡くなりになった後は、別の職人に製作を依頼することで店を守っているそうです。

 店には籠製品と奥さんの出身地である沖縄の商品が一緒に陳列されていて、ユニークです。

 

建築:1930年(昭和5年)

構造・規模 : 木造2階建 外壁下見板張り。

所在地:江差町姥神町112

江差町 編 ⑧

遊工房紺屋

 いにしえ街道沿いにあるこの店、以前は80年続いた履物屋さんで、「紺屋の下駄屋」として親しまれてきました。

 現在は、着物や帯をリフォームして作った洋服やバッグ、小物を展示・販売しています。

 昔懐かしい雰囲気が漂う建物です。

 

建築年:不明

構造・規模 : 木造2階建 外壁:押縁下見板張

所在地:江差町中歌町74−1

指定等 :

江差町 編 ⑨

真宗大谷派江差別院本堂

 石段を上り切って山門を抜けると、この建物、真宗大谷派江差別院本堂が見えてきます。

 このお寺は北海道にある6ヶ所の真宗大谷派別院の一つとして、由緒あるお寺ですが、設計は本山からの斡旋により、九代目伊藤平左衛門が棟梁として招かれたものでもあり、京都本山東本願寺の両堂、函館別院本堂(重要文化財)等に並ぶ貴重な建物として、評価されています。

 

 本堂は桁行9間、梁間7間の入母屋造、桟瓦葺の伸びやかな姿をしていますが、さらに、細部に目を転じますと、二重虹梁や肘木、木鼻、蟇股に手の込んだ細工が施されています。

 およそ330年前に建立されてから、3度の火災に見舞われ、現在の建物は1891年(明治24年)に落成されたものです。

 

建築:主屋=1891年(明治24年)

構造・規模 :木造

所在地:江差町中歌町169番地

設計:九代目伊藤平左衛門