建築を旅してplus

岩見沢市 編 ①

岩見沢複合駅舎

 岩見沢市は鉄道の町といわれます。これは、かつて近隣の炭鉱と北海道各地の港湾都市とを結ぶ貨物列車の一大拠点となっていた事から、旧国鉄が全国12か所の鉄道の町の一つとして公認したことによるものですが、その後、炭鉱の閉山により石炭輸送は減少していきます。

 また、2000年(平成12年)には木造2階建の3代目駅舎(1933年 ─ 昭和8年建設)が漏電火災で全焼してしまいます。

 以降、現在の4代目駅舎開業までプレハブ仮駅舎での営業を余儀なくされてしまいました。

 

 さて、現在の4代目駅舎についてです。

 2005年(平成17年)に岩見沢複合駅舎建築デザインコンペが実施され、応募総数376案の中から採用されたのはワークヴィジョンズ・西村浩の案でした。

 その後、市民悲願の4代目岩見沢駅舎は市施設との複合施設となり、2007年(平成19年)に暫定開業、2009年(平成21年)からは全面開業となりました。

 建物外観は1階外壁をレンガ積み、2階、3階がガラスカーテンウォールとなっています。

 ガラスのスキン内部に入りますと回廊、コンコース、センターホールなどが外周に配され、とても明るい空間になっていますが、その中央部には市民サービスセンターや市民ギャラリーが入るレンガの箱が置かれ、入れ子構造のようになっています。

 ところで、岩見沢とレンガとの係わりとはどのようなものでしょうか。

 1つにはお隣が江別市ということがあります。さらに、隣接するレールセンターもそうですが、明治期から鉄道関連の多くの施設にレンガが用いられていたという係わりです。

 記憶の建築でもあるんですね。

 

 さらに建物をよく見ますと、カーテンウォールのマリオン(方立)に古レールが使われていることがわかります。

 232本それぞれに当時の製造年と製造地が刻印され、設置間隔は実際の軌道幅とほぼ同じ1.1mだそうです。

 徹底的にこだわったメタファーです。 この作品は後に、日本建築学会賞をはじめ、さまざまな受賞歴を持つことになりますが、その評価の一要因として市民参加型のプロジェクトであることが上げられています。

 その1例ですが、外壁のレンガをみますと、名前の入った刻印が施されていることわかります。総数で4777個の刻印レンガだそうです。

 この刻印レンガプロジェクトが市民参加型で行なわれています。

 この工程やイベント企画、HPのコンテンツなどを市民参加で行なったといいます。

 建築や空間づくりは、計画・設計の過程に参加することで、出来上がったものが参加者のものと感じられ、その後の利用・維持・成長にとって、大きな意味を持つといいますから、すでに市民みんなの施設といった感覚になっているんでしょうね。 

 

竣工 – 2007年(平成19年)暫定開業、2009年(平成21年)全面開業

構造・規模 – 鉄筋コンクリート地上3造建、一部 鉄骨造

敷地面積:3、321.58㎡ 

建築面積:2、154.38㎡、

延床面積:4、345.08㎡、

最高高さ:11.92m自由通路の天井高:3000mm

外部仕上 – 屋根:アスファルト露出断熱防水、外壁:煉瓦積、開口部:古レールカーテンウォール

所在地 - 岩見沢市有明町南1─1、1─14

設計者 – ワークヴィジョンズ 西村 浩 他

施工者 – 札建工業・カツイ・勝井建設工業共同企業体 他

受賞歴・指定等 – グッドデザイン賞、日本建築学会賞、ブルネル賞、アルカシア賞、公共建築賞、他

岩見沢市 編 ②

旧栗沢信用購買販売組合事務所

 この建物は煉瓦造2階建、545㎡の建物で、旧栗沢信用購買販売組合事務所として1931年(昭和6年)に建てられたものですが、その当時は500円の予算であったといいます。

 建物中央上部を見ますと、岩見沢と合併する前の栗沢町の町章であった☆の中に栗という文字の紋章が見て取れます。

 さらによく見ますと、バットレスをモルタルで仕上げており、上下階の窓の間にはパネル状装飾を設け、正面中央部に焼過煉瓦で枠取りした尖頭アーチを見せるなど、凝ったデザインとなっています。

 

 200mほどの距離に栗沢駅がありますが、周辺JRの線路沿いには、同時代に建てられた煉瓦倉庫が並んでおり、煉瓦の町を演出しています。

 なお、現在はJAいわみざわ栗沢農業資材店として使用されている現役の建物です。

 

竣工:1931年(昭和6年)

構造・規模:煉瓦造2階建、545㎡

在地: 岩見沢市栗沢町本町163番地

その他: 現在はJAいわみざわ栗沢農業資材店として使用

岩見沢市 編 ③

国兼家住宅

  この建物は大正時代に材木商、竹原繁次郎の邸宅として建てられましたが、1939年(昭和14年)には国兼氏に譲渡されています。

 さらに、1978年(昭和53年)には、岩見沢市有形文化財に指定され、現在に至っています。

 まず、外観全体を見ますと、木造平屋の和風建築になっています。

 玄関は、むくりのある入母屋造りで、破風には懸魚、上部には和風の棟飾りがついています。

 主屋の屋根は寄棟造りの亜鉛鉄板葺きです。

 外壁は高度な工法とされる、ささら子下見板張りとなっており、その上部には白の漆喰仕上げの小壁が施されています。

 しかし、何といっても、この建物の特徴は内部、裏庭に面した和室に施された土縁付き縁側にあります。

 裏庭から内部を覗いて見ますと、硝子に歪みがあり、これだけでも風情を感じるものです。

 土縁とは、庭に面する場所に設けられる土足の縁側のことで、昔から、雪の多い東北・北陸地方の民家などに用いられてきました。

 竹野繁次郎氏は、山形県鶴岡の出身であることから、この様式を採用したのではないかと推測されます。

 なお、材木商らしく、材料は非常に吟味されており、秋田産の杉、ヒバ、ヒノキ材を用い、柱の多くは四方柾が使用されているといいます。

 

建築 - 大正時代 ※ 諸説あります

構造・規模 - 木造平屋建 136.89㎡ (創建当初は250㎡)

所在地 – 岩見沢市北本町東2丁目22

受賞歴・指定等 – 岩見沢市有形文化財

その他 – 旧竹原繁次郎住宅

岩見沢市 編 ④

JR北海道岩見沢レールセンター

 開拓史によって開設された幌内鉄道は、1889年(明治22年)、北海道炭礦鉄道会社に払い下げられました。  これを期に岩見沢は鉄道網の結節拠点となり、発展して行くこととなります。

 この建物は車両の製作、修理のために、明治31年から32年にかけて建築されました。

 開拓期の面影を残しているL型平面の工場です。

 もともと、この建物を見に岩見沢まで出向いたわけではなく、日本建築学会賞をはじめとして、数々の建築・デザイン賞に輝いた岩見沢複合駅舎を見に行ったんですが、自由通路を通って、北側に出たところ、この味わい深い煉瓦の建物を見つけた次第です。

 

 じっくりと見てみますと、妻側上部中央には五稜星型のマークがはめ込まれています。

 これは現存する唯一の旧北海道炭礦汽船鉄道会社の社紋だそうです。

 建築当時は越屋根に明かり窓を設け、小屋組みは木造トラスで15mのスパンを支えていましたが、現在は鉄骨で補強されています。

 さらに、建築内部の構造体は本物のレールで組まれており、蒸気や煙が排出されるために、柱内部には換気用の空洞が組み込まれているんだそうです。

 現在も北海道唯一のレールセンターとして、レール加工品製造、レール溶接の技術開発が行われており、青函トンネルのロングレール製造にもたずさわりました。

 今後の「まち再生」のシンボル的建物だといわれていますが、北海道は、いわば「鉄道文化遺産王国」ですから、観光資源としての可能性は感じますね。

 市民など、多くの人々を介在させて、その価値を高めてほしいものです。

 

竣工 - 1899年(明治32年) 

構造・規模 - 木筋煉瓦積み平屋建(当初)、2階建

所在地 - 岩見沢市有明町中央

受賞歴・指定等 - JR北海道の「準鉄道記念物」 、近代化産業遺産 

その他 - 旧北海道炭礦汽船鉄道株式会社岩見沢工場材修場

岩見沢市 編 ⑤

旧牧病院住宅応接室─岩見沢公園東屋

 岩見沢公園は183ヘクタールの広さを持つ大規模都市公園ですが、その中にあるバラ園は、約4万㎡の敷地の中に多種のバラやハマナスが美しく咲き乱れ、とても癒される空間です。

 ゆっくり散策していると、小さな洋館が目に入ってきます。この建物は、かつての牧病院(現:医療法人社団牧病院)応接室部分でした。

 

 1891年(明治24年)創設の牧病院は1896年(明治29年)の大火で焼失。その後住宅と応接室が建てられましたが、1987(昭和62年)に解体、1992(平成4年)には現在地の岩見沢公園内に復元・再建されています。

 モダン住宅部分も残したいと言う声が多かったと聞きますが、そう、うまくはいかず、市内建築家達の後押しもあって、かろうじて応接室だけが残されたそうです。

 白い下見板張の壁を背景に、茶色の窓や窓枠、さらに軒蛇腹パネルのコントラストが目を引きますね。

 

建築 – 明治30年代と思われる

構造・規模 - 木造平屋建             

所在地 – 岩見沢市志文町岩見沢公園