建築を旅してplus

伊達市 編 ①

伊達市迎賓館

 戊辰戦争に敗れた仙台藩は所領を削減されました。 

 支藩を意味する亘理領も2万4千石から58石余りに減じてしまったのです。 

 このため、藩主伊達邦成達は家臣たちを養うためにも北海道開拓に望みを託すこととなります。

 1870年(明治3年)に、仙台藩一門亘理藩領主※の伊達邦成が、家臣250名と共に北海道に入殖してから、1881年(明治14年)までに、総勢、2651名が有珠郡に集団移民しています。

 明治初期の北海道には、数多くの旧士族集団の入植が行なわれましたが、最も有名な入植とされます。  

 さらに、彼らは西洋式農具を使用するなど北海道農業の先駆となったといいます。

 これらのことを評価した明治政府は、一度は剥奪した伊達邦成の士族籍を1885年(明治18年)に復籍します。さらに1892年(明治25年)には、開拓功労により男爵となり、その基本財産として、この邸宅が建てられました。 

 なお、邸宅としてばかりか、開拓の視察に訪れる政府高官や開拓使を迎え入れる施設でもあることが、迎賓館と呼ばれる由縁です。

 

 建物の外観を見ますと、木造2階建て、外壁は下見板張り、屋根は亜鉛鉄板葺きの入母屋造りで、玄関庇に重ねて、架けられた起破風(むくりはふ)が特徴的です。 

 全体としては、数寄屋風の書院造りの建物になっていますが、出窓のある一室だけが洋間になっているため、和洋折衷建築ともいえます。

 当時は洋室を公の場として、和室を私の場として、使い分けていました。

 なお、在来の和風建築に比べ、天井高さが高くなっていますが、これは北海道の近代和風建築の典型でもあります。

 また、障子や欄間格子の華麗で複雑な組子が見事です。

 さらに、よく見ますと、柱と長押の交差部分に金物がありますが、釘隠しです。

 洋室の天井レリーフも見事です。旧邸宅の観賞ポイントはディティールにありですね。

 昭和10年から30年頃までは伊達家の居所として、利用されていましたが、昭和30年に敷地と共に伊達市に寄付をしています。その他、開拓記念館構内には開拓記念館や旧三戸部家住宅も建てられています。 

 なお、この迎賓館を建てたのは仙台で伊達邸を建てた棟梁の田中長吉だと伝えられています。 ※伊達市と旧領の宮城県亘理町・宮城県山元町・福島県新地町の三町は、「ふるさと姉妹都市」として提携関係にあります。

 

竣工 - 1892年(明治25年)

構造・規模 - 木造2階建 294㎡

所在地 - 伊達市伊達市梅本町61番地2 (開拓記念館庭園内)

施工者 - 田中長吉(棟梁) 

受賞歴・指定等 - 伊達市文化財

その他 - 旧伊達家邸宅  

伊達市 編 ②

日本聖公会バチェラー夫婦記念教会堂

 ジョン・バチェラーは、1854年、イギリスに生まれています。 

 両親が敬虔なキリスト教徒だったことから、ケンブリッジ大学の神学部に進み、布教の旅に出ます。 

 香港・函館を経て、宣教師に任命された後には、道内各地でキリスト教の伝道をして歩きました。

 特にアイヌ民族への活動を進めます。 アイヌ語辞典を初め、40数冊を出版するなど、アイヌの研究家、アイヌの父などと呼ばれ、人々の尊敬を集めていました。

 しかしながら、1940年(昭和15年)には、太平洋戦争の煽りを受け、64年間滞在した北海道を離れ、帰国の途に着くと、その4年後に英国で90歳の生涯を終えています。

 教会は平取と、今回の建築探訪に取り上げた伊達(有珠)に建設されています。

 

 国道37号線を西側へと向かい、伊達市街地を抜け、有珠善光寺の手前を左に曲がって、少し行くと、アイヌの人々が「カムイ・タップ(神の丘)」と呼んでいた場所の大きな岩陰に、この記念教会堂は建っています。 

 この教会は1937年(昭和12年)秋に竣工した、石造2階建て(正面より奥の礼拝堂と聖壇部分は平屋)の西洋館です。 

 ディティールを見てみますと、正面上部には三角ペディメント(破風)、2階に丸窓、1階に欄間付き2連窓などを左右対称に配しており、その上部にある三角石の頂点には十字架が彫られています。 

 また、玄関庇と平屋部分の軒ブラケット(持ち送り)には蛇腹風の曲線に彫られるなど、凝ったデザインになっています。 

 室内の講壇正面にはキリスト教の三位一体を隠喩としたと思われる三連アーチ窓があり、その上部には漆喰の装飾が施されています。また、棚は透かし紋様になっています。

 さらに、2階にはバチラー神父の遺品を展示するコーナーが設けられていました。総じて、ディティールは魂を込めて、創作したといった印象を持ちました。

 なお、平成4年には伊達市指定有形文化財に指定されています。

 ジョン・バチェラーといえば、田上義也との運命的な出会いが有名です。 詳しくは、別の機会にまとめたいと思っていますが、バチェラーから依頼されてバチェラー学園を設計したことが、北海道で建築家としての道を歩みはじめたきっかけだったといいます。

 バチェラーは、間接的にではありますが、北海道の建築とも関わっていったのです。

 

竣工 - 1937年(昭和12年) 

構造・規模 - 石造2階建

所在地 - 伊達市向有珠町119

設計者 - 不明

受賞歴・指定等 - 伊達市指定有形文化財

伊達市 編 ③

旧三戸部家住宅

 伊達市は、1870年(明治3年)に仙台藩一門亘理藩領主の伊達邦成が、家臣250名と共に北海道に入殖したことをきっかけに開拓されたまちですが、それ以前にもアイヌ民族が多数住み、人々の生活は噴火湾【※1】でとれる海の幸に支えられていたといいます。  

 三戸部家は第5回移住団として1873(明治6)年4月に、宮城県亘理郡吉田村(現在の亘理町吉田)から有珠郡東紋別村(現在の伊達市萩原町)に家族4人で入植しました。

 入植後、姓を「水戸部」から「三戸部」に改めたそうです。  

 この旧三戸部家住宅は亘理から移住した大工が亘理の下級武士の住宅に習い、入植時に建てたと伝えられており、道内各地の屯田兵屋も同じ規格だといいます。

 もともと、伊達市萩原町の谷藤川河口近くに建っていましたが、1969年(昭和44年)に市に寄贈され、北西約3キロにある現在の開拓記念館構内(旧伊達邸跡)に移築されました。 この開拓記念館構内には、開拓記念館や迎賓館も建てられています。

 さらに、1971年(昭和46年)には重要文化財に指定され、1995年~97年に7560万円をかけての解体修復が行われました。

 当初は明治5年頃建築の、釘を使わず組み立てる仙台地方の建築様式とされていましたが、解体修理の際に神棚や鴨居に洋くぎが使われていることが分かり、道内での洋くぎの使用開始時期から、明治10年代後半の建築と推定されるようになりました。

 

 建物を観察してみます。桁行き9.1m、梁間6.4m、床面積58.2㎡、外壁荒壁、寄棟造りの茅葺屋根です。  内部は、仙台藩の下級武士家屋の標準的な間取りとされ、向かって左側にイタと呼ばれる部屋があり、その中央にはイロリがあります。また、右前面をオクザ、後方をナンドと呼んでいます。  伊達市は北海道にあっては温暖な気候ですが、それにしても、とても、不自由な生活だったことが偲ばれます。さらに詳細を見ます。 

 玄関を入って、見上げると、天井はありません。剥き出しになった曲がった梁が見えます。 一般的に古民家の梁には、曲がった木をそのまま使うことが多いようですが、これは柱に使えないため、安価であったことが理由だとされます。 

 ただし、三戸部家の場合には付近に自生していた木を切り出して建材にしたとのことですから、事情は、多少違うようです。

 家は人が住むことで、美しさと力強さを増していきます。

 柱も梁も黒々としていますが、囲炉裏から上がる煙は家を育てる大切な役割を持ちます。また、茅葺をむしばむ害虫を追い払い、木をいぶして丈夫にするのです。

 さらに、部材はかんなを用いず、ちょんなを用いて削っています。

 なお、復元に当たっては、柱を2本だけ入れ替えたほかは旧材をそのまま利用したとのことです。 この旧三戸部家住宅は、極小住宅ではありますが、伊達市の強烈な開拓の歴史を物語るタイムスリップした空間です。

【※1】噴火湾とは、北海道南西部、渡島半島によって三方を囲まれた湾のことで、周囲に活火山が多いため、このような名称が付けられた。別名、内浦湾とも呼ばれており、湾内ではホタテなどの養殖等が盛んに行われている。

 

竣工 - 明治10年代後半

構造・規模 - 木造平屋 寄棟造り茅葺 57㎡

所在地 - 伊達市伊達市梅本町61番地2 (開拓記念館庭園内)

設計者 - 不明

賞歴・指定等 - 重要文化財

伊達市 編 ④

旧浅見醸造雑蔵 ─ 土蔵倉

 浅見酒造の創業者である浅見四郎左衛門は、埼玉で大規模な味噌醤油醸造業を営んでいましたが、1880年(明治13年)には伊達へと移住、藍栽培などをしていました。  

 この建物は明治33年頃に、わざわざ新潟から土蔵職人を呼んで建築した、間口7.27m、奥行9mの二階建の倉で、内部には桂材が使われています。

 1901年(明治34年)には、ふたたび味噌醤油醸造業を営むこととなりました。 現在、土蔵倉は伊達市文化財になっています。  

 伊達市役所界隈の商店街は武家屋敷風の景観に統一されていますが、そのイメージとなる原型の一つなのかもしれません。 

 

竣工 - 1900年(明治33年)

構造・規模 - 土蔵造2階建

所在地 - 伊達市鹿島町6

受賞歴・指定等 - 伊達市文化財

伊達市 編 ⑤

旧伊達家蔵(御蔵)

 伊達市迎賓館の背後にある木造の蔵は「御蔵」とも呼ばれており、仙台藩一門亘理藩から持ち込まれた伊達家の家財類を所蔵するために建てられたものです。

 小屋組には、仙南地方に特徴的な大きな梁に桁を組む構造を見ることができるとありますが、残念ながら内部を見ることはできませんでした。

 江戸時代的な錠前のつくりや、和釘(角釘)の使用は歴史的にも貴重です。

 

竣工 - 1896年(明治9年)~1897年(明治10年)頃

構造・規模 -木造2階建

所在地 -伊達市梅本町61-2

受賞歴・指定等 - 伊達市指定有形文化財-平成4年9月28日指定